世界史は広大な山脈
「もう一度世界史を勉強してみたい」そう思っている社会人の方は結構多いと思います。しかし古代文明から始めても、興味ある事件(例えばフランス革命)から始めても、その広大さに驚き途中で挫折してしまうケースが少なくありません。なぜなら世界史が対象とするのは地域という間口がやたら広く(全世界)、時間という奥行きがとても深い(4~5千年)広大な山脈だからです。この広大な山脈で迷わないためには、最初の入り口をしっかり選ぶ必要があります。
ステップ1,ムーブメントを見つけよう
世界史には膨大な数の出来事が出てきます。これを時代順や地域別に学んでいっても、なかなか先が見えません。そこで数多くの出来事の中から道標となるムーブメントを見つけます。ここで言うムーブメントとは、長期にわたり多くの国に強い影響を与えた出来事です。アルプス山脈で言えばマッターホルン・モンブラン・ユングフラウを見つける作業と思ってください。突然アルプス山脈に足を踏み入れるのではなく、上空から俯瞰して全体像をつかもうという作戦です。
世界史の中でムーブメントの定義に当てはまる出来事を探してみると、次の7項目が浮かびます。
❶ゲルマン民族の大移動.
❷十字軍
❸ルネサンス
❹大航海時代
❺宗教改革
❻第一次・第二次産業革命
❼第一次・第二次世界大戦
この他にも重大な出来事なんて沢山あるだろうと思うかもしれません。しかしこれ以外の出来事は地域が限定されるか、期間が短期に終わっているのでムーブメントとは呼べないのです。まずはこの7つのムーブメントから入るのが世界史を学ぶ最短の方法と言えます。これらのムーブメントはいずれも有名な出来事ですが、まずはその概要を簡単におさらいしておきましょう。
ムーブメントの概要
❶ゲルマン民族の大移動(4~6世紀)=中央アジアの遊牧民フン族に圧迫されたゲルマン民族が、ヨーロッパ北東部から西ローマ帝国内に移住し多くの国を建国した。ヨーロッパ各国の大半がこのゲルマン国家をルーツとしている。
❷十字軍(11末~13末世紀)=西ヨーロッパのキリスト教徒がローマ教皇の指示で聖地エルサレム奪還のため行った遠征。第一回目だけは成功したが、その後はイスラム勢力に奪い返され失敗に終わる。
❸ルネサンス(14~16世紀)=ギリシャ・ローマの古典文化を復興させようという文化運動。イタリアで始まり、西欧各国に広がった。人々が神中心から人間中心(ヒューマニズム)の世界観に転換し、芸術や科学が大きく発展した。
❹大航海時代(15~17世紀)=ヨーロッパ各国(主にポルトガルとスペイン)が資源と貿易ルートを求めて世界規模の航海を行った。その結果アジアやアメリカ大陸での植民地化や商圏拡大が進んだ。
❺宗教改革(16~17世紀)=ヨーロッパで起こったキリスト教の改革運動。ローマ教会による免罪符発行など聖書から逸脱した行為を、ドイツ人神学者ルターが批判したことで広がった。ヨーロッパ中の国王や諸侯がローマ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)に分かれ、宗教戦争にまで発展する。
❻第一次産業革命(18中~19初世紀)=イギリスで始まりヨーロッパ中に広がった技術革新。石炭を用いた軽工業(主に繊維産業)の機械化・自動化や、蒸気機関の開発による鉄道・蒸気船などの交通革命が行われた。
❻第二次産業革命(19後~20初世紀)=アメリカ・ドイツを中心に石油や電気をエネルギー源とした重化学工業(鉄鋼・機械・造船など)が発展した。これらの産業には莫大な資金が必要とされ、資本主義さらには資源を求めて帝国主義が拡大していった。
❼第一次世界大戦(1914~1918)=オーストリア皇太子の暗殺をきっかけに、同盟国(ドイツ・オーストリア・ハンガリー)と連合国(イギリス・フランス・ロシア)が世界各国を巻き込んで行われた世界規模の戦争。連合国側が勝利し、ドイツなどが厳しい制裁を科された。
❼第二次世界大戦(1939~1945)=第一次世界大戦の敗戦や世界恐慌で不況に苦しむドイツがポーランドに侵攻。続いて日本もアメリカを真珠湾攻撃したことで、世界大戦が勃発した。戦場はヨーロッパ・太平洋からアジア・アフリカまで広がり、世界中が巻き込まれる事となった。連合国(米・英・露・中など)と同盟国(日・独・伊)が争い、連合国側が勝利した。
ここで気がつくのは、7項目が全てヨーロッパ中心の出来事だという点です。つまり東洋史や中東史は単独に学ぶことが出来るが、ヨーロッパ史は全体像から入らないと全貌が理解出来ない複雑な構造だということです。(決して東洋や中東を軽視しているわけではありません)
ステップ2,ムーブメント同士の関係を知ろう
7つのムーブメントのうち時代のはなれているゲルマン民族の大移動を除く6つは、相互に深いつながりがあります。まずこの関係を押さえるのが重要です。表ーAを見てください。

◈❷十字軍の遠征はその失敗により、ローマ教皇の権威を大きく失墜させてしまいます。これを契機に神中心の世界観を脱し、ヒューマニズム(人間らしさを大切にする)という考え方を基本とした❸ルネサンス運動が始まります。
◈ローマ教皇の権威低下に加え、ルネサンスで復活した理性的精神がそれまでタブーだった教会批判を引き起こし、ルターらの❺宗教改革へと発展します。
◈十字軍の遠征で中東の文化に触れたヨーロッパは、未知の世界に興味を示します。スペイン・ポルトガルを中心に行われた❹大航海時代ではマゼランが世界一周を達成し、それまで教会が唱えていた天動説の誤りが証明されました。これも宗教改革が起こる背景となっています。一方宗教改革で劣勢になったローマ教会もイエズス会を設立して海外布教を開始、ザビエルらが大航海時代に加わっていきます。
◈ルネサンスでは文化・芸術だけでなく、科学技術も大きく発展しました。これらの新技術が製造業の機械化に貢献し❻第一次産業革命(軽工業)、第二次産業革命(重化学工業)を引き起こします。またヒューマニズム思想が人権意識の高まりにつながり、後の市民革命(アメリカ独立・フランス革命など)を引き起こすこととなります。
◈産業革命によって造り出された膨大な商品は資本主義を生み出し、資本主義は売り先を植民地に求める帝国主義へと変貌します。列強(帝国主義の大国)は植民地を激しく奪い合い、❼第一次世界大戦・第二次世界大戦では世界が二つのグループに分かれ戦いました。
以上がムーブメントから見た、世界史の骨格とも言える部分です。
ステップ3,ムーブメントと出来事の関係を知ろう
ムーブメントの周辺には重要な出来事が数多く存在します。次のステップとしてムーブメントと主要な出来事の関係をつかんでおきましょう。表ーAの内容に周辺の出来事を加えた表ーBを見てください。

◈十字軍はエルサレム奪還に苦しむ中、同じキリスト教国であるビザンツ帝国(旧東ローマ帝国)の首都●コンスタンティノープルを占領します。これで弱体化したビザンツ帝国はイスラム系のオスマン帝国に攻撃され●ビザンツ帝国滅亡を迎えます
◈ビザンツ帝国滅亡によりアジアへの陸路をオスマン帝国に塞がれたヨーロッパ各国は、新たに大西洋からアジアに向かう海上航路を求め、大航海時代が始まります
◈大航海時代には●コロンブスのアメリカ大陸発見や●マゼランの世界一周があり、世界の一体化に大きな成果を挙げます。その一方スペインによる中南米征服の中で●アステカ王国・インカ帝国を滅亡させるような悲劇も起きています。
◈十字軍の失敗により、絶大な権力を誇ったローマ教皇の力も陰りを見せていきます。1303年にはイタリアのアナーニという町で、意見が対立するフランス国王がローマ教皇を監禁する●アナーニ事件が起こります。教皇と国王の地位が逆転した象徴的出来事と言えるでしょう。
◈十字軍の失敗はローマ教会に、資金不足という難問を押しつけます。サンピエトロ大聖堂の改修費用に苦慮したローマ教会は、●免罪符の発行で資金を捻出しようと企てます。このような聖書に書かれていない欺瞞的行為に●神学者ルターが公開質問状を貼り出し宗教改革が始まります。当初は教義論争だった宗教改革は、ヨーロッパ中の国王や領主がローマ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)に分かれて戦う●宗教戦争(三十年戦争など)に発展します。
◈●ビザンツ帝国が滅亡したことで現地のギリシャ人がイタリアへ大量に避難し、ギリシャやローマの古典文化を復興させようとするルネサンスが花開きます。ルネサンスの世界観ヒューマニズムは人々に人権意識を目覚めさせます。これにより国王の支配に不満を持った市民が●アメリカ独立革命や●フランス革命を起こし、市民革命の時代を迎えることになります。
◈市民革命後もその国の政治はしばらく安定せず、アメリカは●南北戦争、フランスは●ナポレオン時代を経ることで本格的共和制へと進化していきます。
◈ルネサンスのもう一つの成果は科学技術の発達です。イギリスでは石炭を用いた軽工業(主に繊維産業)の機械化・自動化や蒸気機関の開発による鉄道・蒸気船の普及などの第一次産業革命が進行します。続いてアメリカやドイツでは石油や電気をエネルギー源に重化学工業(鉄鋼・機械・造船など)分野で第二次産業革命が本格化します。
◈産業革命がきっかけで生まれた資本主義は、商品の原材料や販路を求め植民地獲得を目指す帝国主義へと変化していきます。イギリスが清(中国)を商圏にしようと企んだ●アヘン戦争、ロシアの南下政策を阻止しようと英仏がオスマン帝国を支援した●クリミア戦争、日本が朝鮮半島の支配を清やロシアと争った●日清・日露戦争など、世界各地で列強の紛争が頻発します。
◈やがて列強はグループ化していきます。ドイツ・オーストリア・イタリアが組んだ●三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアが組んだ●三国協商はオーストリア皇太子暗殺をきっかけに第一次世界大戦へと発展します。この戦争後に結ばれた●ベルサイユ条約では、敗戦国ドイツに莫大な賠償金などの厳しい制裁を科してしまいます。これに対するドイツ国内の不満がナチス政権を誕生させ、第二次世界大戦を引き起こす原因となります。
◈第一次世界大戦後アメリカは好景気に沸き、過剰生産・過剰投資が行われました。しかしヨーロッパの復興で輸出が減りバブルがはじけてしまいます。これによりアメリカ発の●世界恐慌が起きると、植民地を持つ大国は排他的なブロック経済で防衛に出ます。一方資源に乏しいドイツや日本は強引に国外へ資源を求めたため、第二次世界大戦が引き起こされることになりました。
以上、超駆け足ではありますが中世以降の世界史の流れをザックリ理解していただけたでしょうか。
ステップ4,ヨーロッパ社会の成り立ちを知ろう
世界史における主要舞台であるヨーロッパ、その成り立ちを知るにはムーブメント❶ゲルマン民族の大移動まで遡る必要があります。日本のような島国と異なりヨーロッパは色々な民族が時代と共に多くの国家を作り、相互に影響し合ってきました。そうした複雑なヨーロッパという社会を知るには三つの側面から見る必要があります。
(1)国家の変遷=ヨーロッパには50の国がありますが、歴史的に見ると何度も国名が変わり、その領域も変動しています。現在の国家がどのようにして誕生したのか、そのルーツを整理します。
(2)キリスト教=ヨーロッパを理解する上でキリスト教の存在はとても重要です。社会の中でどう役割が変わっていったのか確認しておきましょう。
(3)社会体制=時代と共に社会体制も変わっていきます。同時に時の権力者がどう変化していったか、これを知ることがその時代を理解するのに役立ちます。
以上三つの側面を並列的に見られるようにしたのが表ーCです。

(1)国家の変遷
◈紀元前27年に帝政となったローマ帝国は勢力を拡げ、2世紀には地中海沿岸の大半を獲得します。4世紀後半になると中央アジアのフン族がゲルマン人の住むヨーロッパ北東部に侵入、ゲルマン諸民族はローマ帝国内に移動を始めます。広大になってしまった領土の防衛に苦しむローマ帝国は395年、東西二つに国を分割することでこれに対応しようとします。分裂後も西ローマ帝国領内にはゲルマン民族の流入が続き、476年統治能力を失った西ローマ帝国は滅亡してしまいます。
◈西ローマ帝国領に入ったゲルマン諸族は、各地に国家を建設していきます。アングロサクソン族はブリテン島(イギリス)に渡りアングロサクソン7王国を建設、現在のイギリスの基となります。
◈現在のフランス地方に入ったフランク族は次々と領土を拡大、9世紀に西フランク・東フランク・中部フランクの三カ国に分割を行います。西フランクは後のフランス、東フランクは神聖ローマ帝国と名を変えた後に現在のドイツ、中部フランクは後のイタリアへと変貌していきます。
◈イベリア半島に入った西ゴート族は西ゴート王国を建設しますが、短期間でイスラム系王国に滅ぼされてしまいます。15世紀にようやくイスラムを駆逐した後はスペイン・ポルトガルが建国され現在に至ります。
◈ローマ帝国から分裂したもう一方の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は首都をコンスタンティノープルに遷してバルカン半島・トルコ・エジプトあたりを治めます。ゲルマン人の侵入による打撃も少なく、15世紀にオスマン帝国に滅ぼされるまで千年の間繁栄しました。
(2)キリスト教
◈キリスト教は唯一の神を信じる一神教であり、皇帝を絶対的存在とするローマ帝国は当初からこれを禁止・弾圧してきました。しかしその信者があまりに増えてきたため、313年のミラノ勅令でその信仰を許可することになります。その後ローマ皇帝もキリスト教に改宗するようになり、380年に正式に国教として認められます。
◈395年ローマ帝国が東西に分裂すると教会も東西に分かれ、東ローマ帝国はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に首都を移します。東西の教会は1054年に聖像崇拝の考え方の違い※から完全に分裂し、東ローマ帝国側は東方正教会としてローマ教会(カトリック)と別の道を歩み始めます。
※東ローマ帝国は神の姿形で信仰が左右されぬよう聖像は認めず。一方、西ローマ帝国は異民族のゲルマン人にも理解しやすいようにキリストの磔像やマリア像などの聖像を認めた。
◈西ローマ帝国滅亡後のゲルマン国家においても、すでにキリスト教徒だった国民を治めるためキリスト教が必要とされます。中でもフランク王国は国民と同じ正統派(アタナシウス派)だったため、大きく勢力を伸ばします。一方異端派(アリウス派)を信仰するゲルマン国家はフランク王国やイスラム国家などに滅ぼされ短命に終わります。
◈西ゴート王国は7世紀にイスラム系王国に滅ぼされ、ヨーロッパでイベリア半島だけキリスト教の支配外となってしまいます。8世紀から始まったイベリア半島の国土回復運動のことをレコンキスタと呼び、15世紀末にようやく達成されました。レコンキスタ後にはスペインとポルトガルが誕生、大航海時代を主導して一気に国力を拡大します。
◈6世紀に誕生したゲルマン諸国家の支配力は脆弱で、国王がその正当性を求めローマ教皇からの戴冠を望むようになります。こうして教皇の権限は9世紀ごろから次第に拡大していきます。これを象徴するのが1077年に起きた「カノッサの屈辱」事件です。ローマ教皇に破門された神聖ローマ帝国の皇帝が、雪の降るカノッサ城の門前で三日間立ち尽くし許される事件が起きました。教皇の権限が皇帝を上回ったことになります。
◈絶対的な教皇権を背景に、11世紀末から十字軍の遠征が始まります。第一回目こそ聖地エルサレム奪還の目的を果たしたものの、以降は失敗を重ねてローマ教会への信頼は揺らぎ、従軍した各国王の不満も高まります。1303年教皇と意見が対立したフランス国王がイタリアのアナーニという町で教皇を監禁する事件が起き、教皇の権威は低下していきます。
◈16世紀ドイツの神学者ルターのローマ教会批判により始まった宗教改革は、フランス人のカルヴァンなども加わりヨーロッパ全体に波及します。ローマ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)の対立は各地の諸侯・国王をも二分する争いとなり、宗教戦争が繰り広げられることとなりました。現在でもヨーロッパ北部はプロテスタント、南部はカトリックが中心となっています。
(3)社会体制
◈ローマ帝国は征服した属州を中央から派遣した総督が管理することで、広大な領土を支配していました。ローマ皇帝が遠隔支配する中央集権体制と言えます。
◈ローマ帝国が滅びゲルマン国家が乱立するようになると、国王が絶対権力を握ることは無く、封建制度が始まります。封建制度とは国王が諸侯に土地を与え、諸侯は国王に軍役の義務を負うという一種の契約関係です。この関係は諸侯とその下の騎士の間にも存在しました。
◈国家の拡大とともに「キリスト教」の項で触れた通り、教皇の権限が強くなっていきます。しかし十字軍の失敗などでローマ教会の支配が弱まると国王を中心とした主権国家が登場します。主権国家とは自国のことは自国で決められる国家のことであり、諸侯も完全に国王の支配下となっていきます。権力の増した国王はその根拠として王権神授説(国王の権力は神から与えられたもので不可侵)を唱え、官僚や常備軍を備えた国作りが行われました。このような体制を絶対王政と呼んでいます。
◈絶対王政下では富が国王や貴族に集中することになり、国民の不満は高まります。折からルネサンスで人権意識に目覚めていた市民は、市民革命という手段で体制転覆を図りました。革命の後には君主を持たず市民が実権を握る共和制が登場します。
この項では帝国・王国・共和制(共和国)など色々な国家が登場しました。そこで様々な国家の形態について整理しておきましょう。
国家の形態
◈帝国=本来は皇帝(多くの王を支配する王)が治める国家の意味だったが、自国の領土を越えて多くの他国を軍事力で支配している国家を指す。ローマ帝国・大英帝国・大日本帝国(戦前の日本)・第三帝国(ナチスドイツ)などがある。
◈王国=国王を元首として概ね単一の民族を統率する国家。国王は家系で引き継がれるが、同じ家系が続く期間を王朝と呼ぶ。現在ではオランダ・デンマーク・スペインなどがある。
◈共和国=特定の君主を持たず国民が選挙などで国家元首を決めている国家。アメリカ・ドイツ・フランス・インドなど。
現在では以上の分類に当てはまらない事例も多く見受けられる。
◈中国(中華人民共和国)=名称は共和国だが共産党が国家を指導する地位にあるため、共産党の最高指導者(主席)が国家元首となる。同様に北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)では労働党が国家を指導するが、最高指導者は金一族の世襲となっている。
◈日本=基本的には共和制だが、名目的国家元首として天皇制を存続させたため立憲君主制と呼ばれる。天皇の権限は憲法で制限され、実際の政治は共和制の形を採る。イギリスも同様だがイングランド・スコットランド・ウエールズ・北アイルランドの連合王国となっている。
総論はこれ位にして各論に入っていきましょう。まずは7つのムーブメントについて、その内容をもう少し深く掘り下げましょう。その際注意すべきは次の三つをセットで理解することです。
1,なぜ起きたのか(背景・原因)
2,何が起きたのか(事実・経緯)
3,その後どうなったのか(結果・影響)
この三つをセットでとらえることで、歴史が事実の羅列ではなく”なるほど”と納得できる知識になります。
ステップ5,ムーブメントの詳細を知ろう
❶ゲルマン民族の大移動

<背景・原因>
①地球の寒冷化=3世紀頃より地球の寒冷化が進行した。北方に暮らし農業や
遊牧で生活していた諸民族は、寒冷化による収穫量の減少で食糧不足に悩ま
されていた。
②フン族の侵入=中央アジアの遊牧民フン族も温暖な遊牧地を求め、4世紀後
半にヨーロッパ北東部に侵入してきた。この地には多くのゲルマン部族が暮
らしていたがフン族の騎馬戦力に対抗できず、より温暖なヨーロッパ南西部
(西ローマ帝国領)へと移住せざるをえなかった。
③西ローマ帝国の弱体化=権勢を誇った巨大ローマ帝国も東西に分裂(395)
とりわけ西ローマ帝国の弱体化が進んだため、侵入してきたゲルマン部族を
追い返すことが出来なかった。

<事実・経緯>
395 ローマ帝国が東西に分裂
418 西ゴート人はイベリア半島(スペイン)に入り、西ゴート王国を建国。
429 ポーランド南部にいたヴァンダル人はイベリア半島に移住したが、西ゴ
ート人に追われ北アフリカに渡りヴァンダル王国を建国。
443 ルーマニア地方にいたブルグンド人はフランス南部にブルグンド王国を建国。
449 デンマーク地方にいたアングロ・サクソン人は海を渡り、ブリテン島
(イギリス)で先住のケルト人を制圧、地区ごとにアングロサクソン7王国を作った。
476 ローマ帝国の傭兵隊長オドアケル(ゲルマン人)が西ローマ帝国の皇帝
を追放し、西ローマ帝国は滅亡する。
481 ドイツ地方にいたフランク人は隣接したフランス地方に入り、フラン
ク王国を建国した。
493 ウクライナ地方にいた東ゴート人はイタリア地方に東ゴート王国を建国
<結果・影響>
①東ゲルマン国家は短命=東ゲルマン国家(東西ゴート・ヴァンダル・ブルグ
ンド)はキリスト教のアウリス派(キリストは人間)を信仰していた。この
宗派はローマ帝国から見て異端だったためローマ人の支持が得られず、いず
れの国家も短命に終わった。
②西ゲルマン国家は主要国に=フランク王国はキリスト教正統派のアタナシウ
ス派(キリストは神)に改宗、西ローマ帝国と入れ替わるように拡大した。
後に3分割され、それぞれがドイツ・フランス・イタリアの起源となる国家
に成長した。
アングロ・サクソン人はブリテン島(イギリス)に渡り先住のケルト人を制
圧、7つの王国を作った。その後遅れ来たノルマン人(ゲルマン系)とも交
わり、イギリスという国家に成長していく。
③中世への転換=ローマという大帝国が衰退し各民族が独自に国家を形成する
中世という時代への転換が始まった。
ゲルマン民族の大移動とは=ヨーロッパ北東部のゲルマン人が西ローマ帝国内に移住し、新国家を次々と建国した活動
❷十字軍

<背景・原因>
①聖地巡礼=キリスト教徒にとってエルサレムはイエスが十字架にかけられた聖地であり、巡礼に訪れることが当時流行していた。しかしエルサレムはイスラム教の教祖ムハンマドが昇天した聖地でもあり、ビザンツ帝国内とはいえキリスト教巡礼者の安全を図る必要があった。
②聖地奪還=1071年、ビザンツ帝国がトルコ系イスラム国家との戦いに敗れエルサレムがイスラム勢力下に入ると、ビザンツ帝国皇帝はローマ教皇に応援要請を行った。
③領土拡大=11世紀頃からヨーロッパでは休耕地に放牧して土地改良を行う三圃制農法が広まり生産力が向上、人口も増加した。これに対応して東方に領地を拡大しようとする動きが出てきた。
④交易ルート確保=絹や香辛料の需要が増し、その産地であるアジア・エジプトとの交易が盛んになった。東地中海はそのための重要ルートであり、その地の支配権を確保したかった。

<事実・経緯>
1071 ビザンツ帝国がトルコ地方に進出してきたイスラム国家との戦いに敗れる。
1095 ビザンツ帝国皇帝がローマ教皇にエルサレム奪還の協力を要請。教皇は各国の国王・諸侯らに呼びかけ十字軍が組織される。
1096~ 十字軍の第一回はエルサレムを奪還、エルサレム王国を建国した。
1187 第二回の後、アラビアの英雄サラディンにエルサレムを奪い返され、以後はイスラム側が優勢となる。
1189~第三回~第七回は目的を果たせず、失敗に終わる。
1202 第四回は十分な戦力が整わず、途中からビザンツ帝国の内紛に介入する。この時資金を助けてくれたベネティア商人に利用され、ベネティアと競合するコンスタンティノープル(ビザンツ帝国の首都)を占領してしまう。
1291 第七回以降残されていた最後の拠点アッコンもイスラムの手に落ち、十字軍遠征は完全に失敗した。
<結果・影響>
①教皇権低下=十字軍開始時に全盛期を迎えていた教皇の権威は、その失敗で大幅に低下した。また参加した諸侯は土地を担保に国王から資金を借りていたため、戦果が得られず困窮。結果的に国王だけが権限を強め主権国家が誕生していく。
②商業の拡大=十字軍の出港地であるベネティア・ジェノヴァなどイタリアの諸都市が地中海貿易の拠点となった。アジア・エジプトと絹・香辛料などの交易を行い、15世紀にオスマン帝国が進出するまで商業の中心として栄えた。
③新しい世界への進出=十字軍は軍事的には失敗だったが、それまで閉鎖的だったキリスト教世界が新しい文化に触れる機会を作った。イスラムやビザンツの文化(古代ギリシャ由来の医学・天文学・建築・芸術など)が取り入れられ、後のルネサンスや大航海時代への足がかりとなった。
④アラブの反発=十字軍遠征はアラブ側から見れば明らかな侵略であり、西欧に対する怨念の感情をアラブ諸国に植え付けた。これを聖戦(ジハード)ととらえ戦った構造は、現在の国際情勢にまで根強く残っている。
十字軍とは=西欧キリスト教徒が中東のイスラム国家に対し、勢力圏拡大を目指し起こした軍事行動
❸ルネサンス


<文化の変遷 表ーD参照>
①古代ギリシャ文化
紀元前5~4世紀、ギリシャでは理性を基礎に哲学・自然科学・芸術・建築など多方面で独自の文化が築かれていった。特に彫刻や絵画では神々に模して完璧に美しい人体を描くことを追究した。
その文化は紀元前4世紀、アレキサンドロス大王の東方遠征(ペルシャ・エジプトなど)によってオリエントに伝わり、現地のオリエント文化と融合することでヘレニズム文化を生み出す。ギリシャはその後ローマに滅ぼされるが、その文化はローマ文化として継承・発展していった。
②中世カトリック文化
5世紀以降、ローマ帝国やその後のゲルマン国家は統治のためキリスト教を重視し、ローマ教会が主導する社会へと変貌してゆく。こうして生まれた中世カトリック文化では学問は神学しか認めず、芸術・建築なども宗教関係に限る閉鎖的なものとなった。医療ではペスト(黒死病)の原因を魔女とするなど、自然科学分野は千年以上の間思考停止状態に陥ってしまう。
しかし、12~13世紀の十字軍遠征や東方貿易の活発化で中東のヘレニズム文化に触れる機会が増えてゆくと、ローマ教会に対する絶対的信頼が揺らぎ始める。
③ルネサンス
15世紀にビザンツ帝国が滅亡すると、現地のギリシャ人は近隣のイタリアへと流入してくる。これにより古代ギリシャ文化が中東のヘレニズム文化を経由してイタリアへと逆輸入され、ルネサンス(復活・再生)のムーブメントが起こる。
<事実・経緯>
14世紀=十字軍や東方貿易の拠点となったイタリアのベネティア・ジェノヴァ・フィレンツェで、中東から影響を受けた新しい文化が生まれる。代表的文学作品にダンテの「神曲」やボッカチオの「デカメロン」がある。
15~16世紀=フィレンツェの財閥メディチ家がパトロンとなり、多くの芸術家を育てた。三大巨匠としてレオナルド・ダ・ビンチ「モナリザ」、ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」、ラファエロ「聖母子像」が有名。ルネサンスの最盛期と言われる。
16世紀=この時期ローマ教皇にメディチ家出身者が就任するなど、教皇の世俗化が進んだ。彼らは積極的にルネサンス文化を支持し、教会建築や宗教画に取り入れていった。中でもミケランジェロは教皇の命を受け、建築・彫刻・絵画で多くの作品を残した。
16末~17世紀=大航海時代の影響で商業の中心が地中海から大西洋に移るにつれ、ルネサンスもイギリス・フランス・スペインなどに広がってゆく。イギリスではシェークスピア「ハムレット」やニュートン「万有引力」、フランスではデカルト「哲学・数学」、スペインではセルバンテス「ドン・キホーテ」などが出現した・
<結果・影響>
①宗教改革
ルネサンスの理性的で人間的な考え方が広まり、ローマ教会の閉鎖的な教義では抑えきれなくなっていった。さらにグーテンベルクの発明した活版印刷で誰もが聖書を読めるようになったことでそれまでの教会の欺瞞も暴かれ、宗教改革へとつながってゆく。
②大航海時代
中東経由で天文学や地理学が広まり、さらに遠洋への航海を可能にする羅針盤が発明されたことで、本格的な大航海時代が始まってゆく。
③近世の夜明け
ローマ教会が支配する中世暗黒時代もルネサンスでようやく終わりを告げる。学問や芸術が復活しただけでなく、社会の支配者もローマ教皇から国王へと代わり、主権国家が競い合う近世が幕を開ける。
ルネサンスとは=ローマ教会の呪縛で千年続いた思考停止からヨーロッパが目覚め、中東経由で古代ギリシャ・ローマの文化や知識を逆輸入した活動
❹大航海時代

<背景・原因>
①香辛料獲得=ヨーロッパでは肉食文化が普及するにつれ、肉を保存する香辛料の需要が増大していった。香辛料はインドやモルッカ諸島などアジアでしか採れないため、アジアに近いイタリアの諸都市がその富を独占していた。
しかし、アジアへのルートである東地中海にオスマン帝国が進出してきたことでイタリアの優位性は失われてしまう。代わってスペインやポルトガルなどが地中海を通らず大西洋からアジアに達するルートを模索するようになった。
②宗教問題=宗教改革によって劣勢に立たされたカトリックのローマ教会は、フランシスコ・ザビエルらによってイエズス会を設立、ヨーロッパ以外への布教に力を入れるようになった。
キリスト教一色だったヨーロッパにおいて、イベリア半島だけは8世紀以降イスラム国家に支配されていた。しかし1492にイベリア半島を奪還するレコンキスタが達成され、対岸のアフリカ方面に進出する機運が高まった。
③技術=この頃までに羅針盤や造船など海洋に関する技術が飛躍的に進歩し、遠洋への航海も可能となっていた。

<事実・経緯>
これらの要素が重なり、ヨーロッパ各国(特にポルトガルとスペイン)が新たな貿易ルートや資源を求め世界規模の航海を行った。その結果アジア、アフリカやアメリカ大陸での植民地化や商圏拡大が進むこととなった。
1415 ポルトガルのエンリケ航海王子がアフリカ大陸の西岸を探検させ、アフリカを迂回してインドに到達できるとの情報を得る。
1488 ポルトガルのバルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰に到達。
1492 イタリア人のコロンブスがスペイン王の支援により、アメリカ大陸に近いバハマ諸島を 発見。
1494 ポルトガルとスペインがトリデシリャス条約を締結
ポルトガルとスペインは大西洋で新しく発見された土地の支配権を巡って紛争となる。これを裁くため海外布教を重視するローマ教皇調停の下、トリデシリャス条約が締結された。
この条約により西経46度37分から東はポルトガル、西はスペインに優先権が認められた。以降、ポルトガルはアフリカを回ってインド・アジアを目指す東回りを、スペインは大西洋を横断してアメリカ大陸へ向かう西回りを進めた。
1498 ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカの南を回ってインドに達するインド航路を拓く。
1501 アメリゴ・ベスプッチが南アメリカの最南端に達し、アメリカが巨大な大陸であることを証明する。
1519~22 マゼランが初めての世界一周を成し遂げ、地球が丸い事が実証される。
<結果・影響>
①商業革命=大航海時代は物流の変化だけでなく、商業の形もヨーロッパ社会を大きく変質させた。多くの取引が世界規模に拡大したことにより、商品の種類や取引額が飛躍的に増大した。同時に商業活動の中心地もこれまでの地中海地区(ベネティアなど)から大西洋沿岸(リスボン・アントワープなど)へと移動、イタリアに代わってポルトガル・スペイン・オランダなどが台頭した。
②価格革命=商業革命に続き、物価が大きく上昇した価格革命が発生する。スペインがアメリカ大陸で発見された大量の銀を持ち帰ったことで貨幣価値が低下し、物価高騰(インフレ)を引き起こしてしまう。しかし物の値段と違って借地料は上げにくいため、土地の地代を収入源としていた地主(領主)の没落が始まってしまう。これにより永らく支配層だった封建貴族に取って代わり、商人が力をつけていった。
③植民地化=中南米に進出したスペインはコステロがアステカ王国を、ピサロがインカ帝国を滅亡させ、次々と植民地化を行った。一方ポルトガルは南米のブラジルを植民地にした他、マカオ(中国)に南蛮貿易の拠点を設け、鉄砲伝来を機に日本との交易も盛んになる。
大航海時代とは=ヨーロッパにとって未知の世界を探索するため、ポルトガルは東回りでスペインは西回りで挑んだ冒険活動
❺宗教改革

<背景・原因>
①ルネサンス=ローマ教会による絶対的支配が長く続いたため、教会では専横的な言動や金銭的腐敗が進行していた。しかしルネサンスから始まった理性で物事を見直す考え方は、教会の教えの矛盾点を明らかにしてゆく。十字軍の失敗に加え、マゼランの世界一周で教会の唱える天動説が否定され、タブーだった教会批判も徐々に起こり始める。
②免罪符の発行=そんな折ローマ教会はサンピエトロ大聖堂改修の財源を得るため、免罪符(買えば天国に行けるお札)の発行を行う。これに疑問を持ったドイツの神学者マルティン・ルターは、公開質問状を教会に貼り出し批判を行った。
③活版印刷の普及=それまで聖書(ラテン語)は聖職者しか手に入らなかった。しかしグーテンベルグが活版印刷を発明し、ルターが聖書をドイツ語訳で出版したことで広く市民にも読めるようになった。これによりこれまで聖職者が聖書を都合良く解釈していた欺瞞も暴かれ、教義の見直しが各地で高まってゆく。
<事実・経緯>
①宗教改革
1517 ドイツ人神学者ルターが教会の扉に「95箇条の論題」と題する公開質問状を掲示し、ローマ教会の免罪符を批判した。
1520 ローマ教皇が論題の撤回を求めるもこれを拒否され、ルターを破門する。ルターは万人が教会を通さず聖書と直接向き合うべきという福音主義を唱えた。
1541 フランス人カルヴァンはパリでの宗教弾圧を逃れてスイスに移り、長老主義や予定説を提唱した。
プロテスタントの教義
●福音主義=教会や聖職者の言葉ではなく、福音つまり聖書の教えだけを信仰するべきという思想。ルターは信徒が聖職者の仲介を経ず直接聖書に触れて信仰する「万人祭司主義」を唱えた。
●長老主義=カルヴァンの福音主義では信徒の中で信仰の厚い人を長老として選び、その人が牧師を補佐する仕組みを提唱した。これにより教会の運営は教皇の任命する司祭者ではなく牧師と信徒代表が行うこととなる。
●予定説=人の救済(罪を許されて来世で平安を得る)は神により予め決められている。現世で善行や献金を行っても結果は変わらない。神に与えられた仕事(天職)を誠実に行うのが大事で、その結果蓄財することは許される。
これらの教義論争の結果、現在のカトリックとプロテスタントの違いは表ーEのようになっている。

②宗教戦争
1618~ ドイツ・フランスなど全ヨーロッパでカトリックとプロテスタントが争う30年戦争が勃発。この戦争は教義の違いだけではなく、神聖ローマ帝国VS帝国内の領主、ブルボン家(フランス)VSハプスブルグ家(神聖ローマ帝国・スペイン)の要素も加わり国際戦争に拡大した。
1648 戦争終結を確認するためヨーロッパ各国が集まり、ウエストファリア条約が結ばれた。
条約の要旨は
(1)30年戦争の終結
(2)新教(プロテスタント)の信仰を承認
(3)主権国家体制の確立(神聖ローマ帝国内300の領邦に主権を認める)
(4)オランダ・スイスの独立を承認
<結果・影響>
①権力構造の変化=中世以来続いてきた教皇を頂点とするキリスト教主導の権力構造が崩壊した。各国は支配地域を国境で囲い、国王が国を代表する主権国家へと移行していく。300の領主の主権を認めた神聖ローマ帝国は形骸化し、解体へと向かう。
②イエズス会の設立=宗教改革で批判されたカトリック側も、教会の腐敗撲滅や教義の再構築を始めた。またフランシスコ・ザビエルやイグナティウス・ロヨラが伝道を使命とするイエズス会を設立。ヨーロッパを離れ世界中に布教を行うため宣教師の派遣が始まった。
③イギリスの宗教改革=国王ヘンリー8世が、王妃離婚問題を契機にローマ教皇と対立。首長法(イギリスの教会は国王を唯一の首長とする)を宣言しローマ教皇と断絶した。その後エリザベス1世がイギリス独自の教義を定め、イギリス国教会として確立された。
④資本主義の発達=カルヴァンの唱えた予定説で勤勉と蓄財を認められた商工業者が、資本主義を発展させる役割を果たした。ドイツ・イギリス・オランダなどのプロテスタント国で進行し、後にピューリタン(イギリスのカルヴァン派)が築いたアメリカで資本主義が花開くこととなる。
宗教改革とは=ローマ教会の腐敗にキリスト教内部から批判の声が上がり、原点回帰を提案された教義見直し運動
神聖ローマ帝国とは
「神聖ローマ帝国」という国は名前と実態が離れているため、とても分かりにくい存在です。ドイツにあるのに何故ローマ帝国なのか、「神聖」の文字にはどんな意味があるのか。これらの疑問を解くため、時代の変遷とともに振り返ってみましょう。
◈395古代ローマ帝国が東西に分裂した後、ローマ教会を支える西ローマ帝国はわずか80年でゲルマン民族に滅ぼされてしまう(476)。その後建国された多くのゲルマン国家の中でフランク王国だけがカトリック正統派に改宗しイタリアも支配したため、教皇からローマ帝国皇帝の称号を授与される。教皇としては古代ローマ帝国の継承者として、キリスト教の守護者になって欲しいという願望が込められていた。しかし870にフランク王国が東・中・西に3分割されると、再びローマ皇帝は不在となってしまう。
◈962北イタリアの混乱を鎮めてくれた東フランク国王に対し、教皇は空位になっていたローマ皇帝の冠を授ける。これ以降東フランク国王は支配地に関係なくローマ皇帝という尊称を持つことになる。
◈東フランク国王はローマ皇帝の名に恥じぬよう再三イタリアに遠征するが成功せず、国内は諸侯がそれぞれ自治する国家連合のような形になってゆく。その後皇帝と教皇はカノッサの屈辱事件(1077)などで関係が悪化してしまう。離反した皇帝は「皇帝の位は教皇から授けられたものではなく、神から授けられた」ことを示すため神聖ローマ帝国と名乗り、教皇の任命は不要とした。
◈1438以降皇帝の地位はハプスブルグ家が独占、積極的な婚姻政策でスペインやオランダまで勢力を拡げ16世紀に最盛期を迎える。しかし宗教改革に端を発した30年戦争(1618~1648)で主戦場となった神聖ローマ帝国は、戦後に300あまりの諸侯の主権を認めたため求心力を失い、事実上解体に向かった。
❻産業革命(第一次・第二次)

<背景・原因>
①大量消費=大航海時代により世界が一つになったことで、それまで国単位だった市場が世界規模に広がった。しかし生産に関しては手工業の域を出ないため、市場の拡大についてゆくことが出来なかった。
②大量生産=そんな中イギリスだけが大量生産に必要な「人・物・金」の三要素を整えており、世界に先駆け産業革命が始まった。
(人)17世紀後半、消費の増えた毛織物を作るため農民が工場労働者として都会に移動してきていた。当時は工場制手工業だったが、18世紀に綿織物の需要急増で機械化が進むと工員としてそれを支えた。
(物)工場の機械を造る鉄と、それを蒸気で動かすための石炭が必要になった。イギリスには鉄鉱石と石炭の産地があり、自国産で機械化が行えた。
(金)イギリスは積極的に植民地獲得を行い、そこへの物販で利益を上げていた。さらに大西洋三角貿易でアフリカの黒人を奴隷としてアメリカや西インド諸島に売りつけ潤沢な資金を保有していた。
③技術革新=ルネサンス以降科学技術が進歩し、人力で行っていた作業を自動化する機械が次々と発明された。さらに動力源として開発された蒸気機関は蒸気機関車や蒸気船として交通革命を引き起こした。
<事実・経緯>
●第一次産業革命(イギリス)
1733 織物の横糸を簡単に通す「飛び杼」をジョン・ケイが発明
1769 水車の力で機械を動かす水力紡績機をアークライトが開発
1779 水力紡績機を改良し、細くて強い綿糸を作るミュール紡績機をクロンプトンが開発
1785 蒸気機関を使った機械動力織機をカートライトが開発
1825 スティーブンソンにより蒸気機関車が製作され、始めて鉄道が開通した
●第二次産業革命(米・独・仏など)
1838 電気信号で言葉を伝える通信機器をモールス(米)が発明
1869 アメリカ中部のネブラスカから太平洋側のカルフォルニアまで、大陸横断鉄道が開通。これによりアメリカの工業化が大きく進んだ
1876 ベル(米)が電話を発明、ビジネスのスピードを飛躍的に高めた
1879 シーメンス(独)が電動モーターを発明、電気を動力として活用できるようになった
1886 ドイツのダイムラーとベンツがほぼ同時にガソリンエンジンによる自動車を開発。これ以降交通の動力源は石炭(蒸気機関)から石油(エンジン)に代わっていく
1892 ドイツのディーゼルが安価な軽油で効率よく動くディーゼルエンジンを開発
産業革命はその後も続き、現在は第四次が進行中である。各次の特徴を整理すると下図のようになる。

<結果・影響>
①資本主義の成立=工業化を行うには大規模工場・機械設備・物流などに巨額の初期投資が必要となる。これを実現するため金融資本と大企業が結びつき、市場を独占支配するようになった。当時のイギリスは二つの市民革命(名誉革命・ピューリタン革命)で絶対王政が倒されており、市民の中に資本家が生まれることで本格的な資本主義時代が始まった。
②格差の拡大=資本主義においては常に利益を求めて自由競争が行われる。この仕組みが様々な分野で格差を拡げる原因となった。
・資本家と労働者
・都市と農村
・先進国(欧米)と途上国
これらの格差は現代においても依然大きな問題として残っている。
③帝国主義の台頭=産業革命の進行とともに植民地の重要性が増していった。植民地は綿花・鉱物など資源の供給地であるとともに、商品を輸出する新たな市場でもある。欧米各国は国力増強のため世界中で植民地獲得競争を行い、紛争も頻発した。力で他国を支配しようとする帝国主義の時代が始まり、世界大戦へと繋がっていく。
産業革命とは=経済的にも文化的にも東洋や中東に劣っていたヨーロッパが、一気に世界のトップに躍り出る原動力となった生産技術の革新運動
❼ー1第一次世界大戦

<開戦前のヨーロッパ>
①消費の拡大=産業革命により経済の規模が拡大し、大量生産・大量消費の時代が始まった。
②植民地争奪=列強各国は新たな消費地を求めており、アフリカ・中東などで植民地・支配地の争奪戦が激化していった。
●ロシアVSドイツ
ドイツはベルリンから中東のビザンティウム、バクダッドまで鉄道で結ぶ3B作戦を計画した。一方ロシアは日露戦争の敗戦後バルカン半島からイラン方面への南下政策に切り替えており、両国の思惑が激突する。
●英仏VSドイツ
アフリカの植民地支配では19世紀から英仏が先行していた。これに後発のドイツが強引に割り込んだため争いが起こる。
③二つのグループに分かれる=列強同士の利害関係から、二つのグループが結成された。
三国同盟:ドイツ・オーストリア・イタリア
三国協商:イギリス・フランス・ロシア

<事実・経緯>
⑴1914に起きた※サラエボ事件による紛争をきっかけに列強各国が次々と巻き込まれ、第一次世界大戦に発展してしまう。
※サラエボ事件=ボスニアの首都サラエボにおいてオーストリアの皇太子夫妻が隣国セルビアの学生に暗殺された事件
当初は①紛争当事国のオーストリアとセルビアの争いだったが、②同民族で両国の後ろ盾であったドイツ(ゲルマン人)とロシア(スラブ人)が参戦し戦火が拡大。続いて③同盟関係にある三国協商のイギリスとフランスがロシア側に加わる。三国同盟のイタリアは1915に離脱。
④それ以外にもロシアと永年争っていたオスマン帝国は同盟国側に参戦。一方日露戦争後の三国干渉でドイツに利権を奪われた日本は連合国側に加わった。
アメリカは中立を守っていたが、ドイツが潜水艦無制限作戦でアメリカの船まで攻撃を始めたため連合国側についた。
この戦争で初めて航空機・潜水艦・毒ガスなどの近代兵器が使用され、戦闘員・民間人合わせて3,700万人の死者を出す世界初の大戦となった。
⑵同盟国(ドイツ・オーストリア・イタリア)は欧州の中央部にあり、東側のロシアと東部戦線で、西側のフランス・イギリスと西部戦線で戦った。
(3)終戦
1917のアメリカ参戦が戦局を変え、1918にドイツは降伏する。
1919にはパリで講和会議が開かれ、ベルサイユ条約で以下の内容を取り決める。
・独は海外の植民地を全て放棄
・独はアルザスロレーヌ地方を仏に返還
・独は賠償金を支払う
・独の軍備制限(徴兵制廃止など)
・国際連盟の設立
<戦後の各国の動き>
●仏=最も戦闘の被害を受けた仏は、独に対する復讐心から国家予算の数十年分に相当する賠償金を請求する。
●独=敗戦後それまでの帝政を廃し、ワイマール共和国となる。しかし余りに過酷な賠償金を負わされたため、経済の荒廃や社会不安が高まり後のナチスドイツ台頭へとつながってゆく。
●英=戦勝国ながら総力戦で国力を消耗し、これまでの植民地支配に陰りが出始める。また、戦時中に中東の戦後処理について各国に空手形を連発(※三枚舌外交),今日まで続く中東問題の原因を作った。
※三枚舌外交
・対アラブ=戦争協力と引き換えに旧トルコ領での国家建設を約束
・対ユダヤ=戦争協力と引き換えにパレスチナでの国家建設を約束
・対仏露=旧トルコ領を三国で分割
●米=直接的な戦争被害が少なく、大戦で疲弊したヨーロッパ各国を抜いて経済大国へと成長してゆく。
●露=国内の革命機運が高まり、1917のロシア革命で民衆がロマノフ王朝を倒し世界初の社会主義国となる。これにより露は大戦中に戦線から離脱した。
●日本=独が支配していたアジアの利権(中国の山東省および南洋諸島)を受け継いだ。また大戦中で列強の関心がアジアから離れた1915に、中国に過大な対華21箇条の要求を突きつけるなど大陸への野心を鮮明にしていった。
第一次世界大戦とは=帝国主義国家が植民地争奪を競い、二つのグループに分かれて争った最初の世界規模の戦争
❼ー2第二次世界大戦

<背景・原因>
⑴ベルサイユ条約への不満=第一次世界大戦の講和会議であるベルサイユ条約で敗戦国ドイツは過大な制裁を科された。海外の植民地を失い領土も削られた上に、200兆円(現行価格換算)という巨額の賠償金を課されてしまった。敗戦後の政治体制はドイツ帝国(プロイセン)からワイマール共和国に代わったものの、これらの重圧から経済的混乱が続き国民の不満は頂点に達した。それに乗じて台頭したヒトラー率いるナチスはナショナリズムに訴え、再び強いドイツの再建を目指した。
⑵世界恐慌=第一次世界大戦からの復興需要による特需に過熱したアメリカ経済がバブル崩壊で急激に落ち込み、それが世界各国に波及して大恐慌となった。その時に各国がとった対応の差が、第二次世界大戦の引き金となった。
【持てる国】米・英・仏など植民地を持つ国は自国の経済ブロックを囲い込み、関税で自国産業を保護する政策を採った。これにより世界不況はさらに加速していく。
【持たざる国】
●日本:国土の狭い日本は中国大陸へ進出するしかなく、傀儡政権の満州国を建国して植民地化を図る。

●ドイツ:隣接するチェコのズデーデン地方を併合、続いてポーランドに侵攻した。
●イタリア:北アフリカのリビア・エチオピアなどを植民地化。
【社会主義国】
●ソ連:社会主義による計画経済のため、世界恐慌の影響は軽微で済んだ。
<事実・経緯>
1929 アメリカ発の世界恐慌が始まる
1932 満州国を建国。清王朝の末裔を傀儡政権とし日本が実質支配を行う
1937 日中戦争が始まる。日本は短期決戦を見込んでいたが、中国側の国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)が統一戦線(国共合作)を組み長期化、太平洋戦争へと繋がっていく。
1939 ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まる。前年にドイツはオーストリアやチェコの一部を併合、英仏がこれを黙認したためさらなる拡大を図り、全面戦争に突入してしまう。
1940 イタリアがドイツ側として参戦、日独伊三国同盟を結成する。枢軸国(ドイツ・イタリアなど)はヨーロッパの大半を支配下に置いた。

1941 日本がハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を攻撃し、米英との太平洋戦争が勃発。第二次世界大戦に新しい局面が加わった。
1944 連合国(米英など)がフランスのノルマンディーに上陸し、反転攻勢が始まる。
1945 ドイツは全戦線で劣勢となりヒトラーが自殺、無条件降伏する。
1945 アメリカが広島と長崎に原爆を投下し日本は無条件降伏、第二次世界大戦は終結した。
1945 国際連合が発足した。
<結果・影響>
1,東西冷戦=大戦後アメリカを中心とする自由主義国と、ソ連を中心とする社会主義国に分かれ冷戦が始まった。
2,民族独立=アジア、アフリカで先進国の植民地だった多くの民族が独立し、新国家が誕生して
いった。アジアでは中国・韓国・インド・フィリピン・パキスタンなど。アフリカではアルジエリア・ケニア・リビア・スーダンなど。
3,核兵器の登場=核兵器が初めて使われ戦争の形が大きく変化した。アメリカに続き戦勝国のソ連・イギリス・フランス・中国が核を保有。さらにインド・パキスタン・北朝鮮・イスラエルが追随したため、核保有国と他の国の発言力に大きな格差が出来てしまった。
4,国際連合の発足=戦勝国が中心となり、国際平和と安全の維持を目的とする国際連合が発足した。しかし安全保障理事会の常任理事国(米・英・仏・露・中国)が拒否権を持っているため合意が難しく、国際紛争で効果的な対応が取れていない。
第二次世界大戦とは=世界恐慌の危機を切り抜けるため、植民地支配で後発となった国家が先進国家に対し挑んだ世界大戦
ステップ6、中東の歴史を知ろう
ここまでのヨーロッパを中心とした歴史の中にも、十字軍やオスマン帝国の拡大などで中東との関わりがたびたび出てきました。そこで中東の歴史についても簡単に整理してみましょう。中東と呼ばれる地域には現在、西からエジプト・トルコ・シリア・サウジアラビア・イラク・イランなど多くの国があります。しかしこれらの国家が建国されたのは第一次世界大戦以降であり、国家単位で歴史を語ることが出来ません。そこでこの地域の覇権を握った国を民族単位で捉えていきたいと思います。表ーFを見てください。

中東における支配民族は大局的に見ると
①前期 ペルシア人(BC6世紀~AC7世紀)
②中期 アラブ人 (7~11世紀)
③後期 トルコ人 (11~20世紀)
の順になっていることが分かると思います。ただ長い歴史の間にはローマ帝国や十字軍、モンゴル帝国など外部の民族に侵略されることも起きています。では各期の内容を詳しく見ていきましょう。
①ペルシャ人
⑴アケメネス朝
中東では大河の周りに早くからエジプト文明やメソポタミア文明が開けていた。その後はアッシリアやバビロニアなどの国家が一部の地域を治めたが、広範囲の支配を成し遂げたのはペルシア人の帝国アケメネス朝だった。アケメネス朝は全国を州に分け統治することで単一国家の枠を超え、ギリシャ方面への侵攻も行っている。しかし前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王の遠征に敗れたことで滅亡に向かう。
⑵パルティア、ササン朝
アレクサンドロス大王は遠征中に死亡したため、その後は遊牧ペルシャ人のパルティア国が勃興するが、ローマ帝国との戦闘で衰え、農耕ペルシア人のササン朝へと引き継がれていった。ササン朝ペルシアもローマ帝国やその後の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と長い間抗争を続け、次第に衰退することになってゆく。ササン朝とローマの争いが長く続いたことで、アジアからヨーロッパに至る交通路(シルクロード)が途絶えてしまった。そこで商人達はそれまで未開だったアラビア半島を経由する新しいルートを作り出す。これによりアラビア半島の西側でメッカやメディナといった町が発展することとなった。

②アラブ人
⑴ウマイヤ朝
新興のメッカの町でムハンマドが神の啓示を受け創設されたのがイスラム教である。イスラム教はそれまでペルシア人が信奉したゾロアスター教に代わり瞬く間に中東に広がり、アラブ人によるイスラム帝国が誕生した。イスラム帝国はムハンマドの死後血縁者がカリフ(宗教的指導者)となるが、5代目からはウマイヤ家がこれを独占しウマイヤ朝が始まる。この時ウマイヤをカリフとして認めたスンナ派と、ムハンマド血縁の一族だけしか認めないシーア派に分かれ、その対立は今日まで続いている。
⑵アッバース朝
ウマイヤ朝は一気に領土を拡げたため多くの他民族を支配することになる。その際他民族に重税をかけたため反乱が起こり、ウマイヤ朝は崩壊してしまう。これに代わって登場したアッバース朝はイスラム教徒であれば同じ税にしたことで政治が安定し、首都バクダード(現イラク)を建設するなどして最盛期を迎える。
③トルコ人
⑴セルジューク朝
トルコ人は現在のトルコとは遠く離れた内陸アジアで、紀元前から活動する騎馬遊牧民だった。その後突厥やウイグルといった国家を作り、中央アジアへ進出する。11世紀中頃にはイスラム化して領土を拡げ、衰えてきたアッバース朝に代わりセルジューク朝として覇権を握った。さらに11世紀後半にはビザンツ帝国を攻め、聖地エルサレムを占領する。これに怒ったヨーロッパ各国が十字軍を編成したことで、13世紀末までの長い戦いが始まってしまう。
⑵アイユーブ朝
一方この時期にエジプト・シリア方面ではアイユーブ朝が台頭、英雄サラディンが登場して十字軍を撃退している。
⑶イル=ハン国、ティムール朝
13世紀、モンゴルのチンギス=ハンが中国や中央アジアを制圧し、さらに中東にも進出してくる。チンギス=ハンの孫フレグはこの地にイル=ハン国を建国、イスラム教に改宗し現地との同化が進んだ。続いてトルコ化したモンゴル人のティムールが実権を握りティムール朝として中東の東部~中部に領土を拡げていった。
⑷オスマン帝国
14世紀に中東の西部アナトリア半島(現トルコ)地方で建国したオスマン帝国は、徐々に勢力を高め15世紀半ばにはビザンツ帝国を滅ぼしバルカン半島に進出した。16世紀には西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカにまたがる大帝国に成長、スレイマン一世の時に最盛期を迎える。

しかし17世紀にヨーロッパでの領土拡大を目指して行ったオーストリア(神聖ローマ帝国)への侵攻が失敗、以後次第に勢力が衰えてゆく。20世紀初めの第一次世界大戦ではドイツ・オーストリアとともに同盟国側として参戦、この敗戦により滅亡に至った。
第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国領ではアラブ系民族の独立を求める声が強くなり、イラク・シリア・レバノン・ヨルダン・サウジアラビアなどが国家として誕生した。
パレスチナ地区にはアラブ人、ユダヤ人双方の移住を認めたが、第二次世界大戦後ユダヤ人にのみイスラエルの建国を認めたためアラブ人との争いが激化、今日まで解決されず大きな問題となっている。
中東の宗教
古代ペルシアではペルシア人のゾロアスター(BC10~6?)が創設したゾロアスター教が信仰され、ペルシア帝国にも引き継がれた。善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの二元論的世界観で、火を善神の象徴としたため拝火教とも言われる。終末に救世主が現れ最後の審判が下されるという思想は、その後のユダヤ教・キリスト教・イスラム教に大きな影響を与えた。7世紀にイスラム教が生まれて以降は現在まで、中東では一貫してイスラム教が信仰されている。
ステップ7、騎馬遊牧民の歴史を知ろう
ヨーロッパや中東の歴史に登場する外部民族に、騎馬遊牧民族があります。中でもモンゴル帝国は世界史上最大のの領土を持つ、巨大な帝国でした。そこで騎馬遊牧民族の歴史についても簡単に振り返ってみたいと思います。
騎馬遊牧民とはユーラシア大陸内部で活動した、騎馬の技術に優れた遊牧民のことです。彼らは草原を季節毎に移動し牧畜を行っていました。そして周辺の農耕民族と交易するだけでなく、時には農耕民族を襲い恐れられていました。その機動性のある軍事力は無敵と言っても良く、16世紀に鉄砲や大砲が登場するまでは圧倒的強さを誇っていました。
ただ初期の遊牧民にとっては国家という意識が乏しく、一定の地域を支配する部族集団として活動を行っていました。しかし10世紀以降になると多くの農耕民族を支配するため、文化や宗教で現地に同化する動きがで出来ます。
<騎馬遊牧民族の変遷>
1,スキタイ: BC6~BC3頃に西ロシアで活動した最初の騎馬遊牧民族。高度な金属文化と騎馬戦闘能力を持ち、後の騎馬遊牧民族に大きな影響を与えた。
2、匈奴: BC3~AC1頃のモンゴル高原にあって、漢民族(秦、漢など)をおびやかした。これに備えるため、秦の始皇帝は万里の長城を建設している。
またゲルマン民族の大移動を引き起こしたフン族は、匈奴の末裔と考えられている。
3,鮮卑: 2~4世紀モンゴルで活動し、中国北部に北魏を建国した。
4,突厥: 6~8世紀のモンゴルでトルコ系遊牧民により築かれた国家。同じトルコ系のウイグルにより滅ぼされる。
5,ウイグル: 8~9世紀に中央アジアで活動したトルコ系遊牧国家。キルギスにより滅ぼされ、現在は少数民族として中国の新疆ウイグル自治区に居住している。
6,キルギス: 9世紀、ウイグルに代わって中央アジアに建国したが、その後モンゴルのチンギス=ハンの支配下に入る。ソ連解体後はキルギス共和国として独立し現在に至る。
<モンゴル帝国>
13世紀初頭、モンゴル高原の一部族を率いたチンギス=ハンが周りの部族を統一し、モンゴル帝国を建国した。その後中国北部や中央アジアにも進出し領土拡大を続ける。チンギス=ハンの死後は息子のオゴタイが二代目皇帝となり、その後も孫のグユク、モンケ、フビライが皇帝の座を継ぎ支配地域を拡げていった。13世紀半ばからはフビライが治める元(中国とモンゴル)を核とし、それ以外はチャガタイ=ハン国(中央アジア)、キプチャク=ハン国(ロシア南西部)、イル=ハン国(中東)の分割統治体制となった。その領土はユーラシア大陸の60%にまで達するが、14世紀に入ると内部抗争や3ハン国のイスラム化で弱体化していった。


モンゴル帝国が短期間で広大な領土を獲得できた理由としては、次の3点が挙げられる。
⑴軍事力: 騎馬民族の機動力を最大限に活かした戦法(奇襲・偽装撤退・弓矢による遠隔攻撃など)に長けていた。
⑵行政制度: 征服した他民族も自軍に取り入れ、積極的に文化や技術を吸収した。また千戸制を作り、部族長が千戸(千人の兵士を出す家族集団)を平時・戦時ともに指揮する組織に再編した。
⑶経済力: 東西交易の要所であるシルクロード(中国ーヨーロッパ)を支配し、そこから莫大な利益を上げていった。
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