社会人が世界史を学ぶ最短の方法

世界史は広大な山脈

「もう一度世界史を勉強してみたい」そう思っている社会人の方は結構多いと思います。しかし「取りあえず世界史の本を買って読み始めてみよう」みたいに初めても、その広大さに驚き、途中で挫折してしまうケースが少なくありません。なぜなら世界史が対象とするのは地域という間口がやたら広く(全世界)、時間という奥行きがとても深い(4~5千年)広大な山脈だからです。この広大な山脈で迷わないためには、最初の入り口をしっかり選ぶ必要があります。

ステップ1,ムーブメントを見つけよう

世界史には膨大な数の出来事が出てきます。これを時代順や地域別に学んでいっても、なかなか先が見えません。そこで数多くの出来事の中から道標となるムーブメントを見つけます。ここで言うムーブメントとは、長期にわたり多くの国に強い影響を与えた出来事です。アルプス山脈で言えばマッターホルン・モンブラン・ユングフラウを見つける作業と思ってください。突然アルプス山脈に足を踏み入れるのではなく、上空から俯瞰して全体像をつかもうという作戦です。

 世界史の中でムーブメントの定義に当てはまる出来事を探してみると、次の7項目が浮かびます。

      ❶ゲルマン民族の大移動.
      ❷十字軍
      ❸ルネサンス
      ❹大航海時代
      ❺宗教改革
      ❻第一次・第二次産業革命
      ❼第一次・第二次世界大戦

 この他にも重大な出来事なんて沢山あるだろうと思うかもしれません。しかしこれ以外の出来事は地域が限定されるか、期間が短期に終わっているのでムーブメントとは呼べないのです。まずはこの7つのムーブメントから入るのが世界史を学ぶ最短の方法と言えます。これらのムーブメントはいずれも有名な出来事ですが、まずはその概要を簡単におさらいしておきましょう。

              

             ムーブメントの概要

ゲルマン民族の大移動(4~6世紀)=中央アジアの遊牧民フン族に圧迫されたゲルマン民族が、ヨーロッパ北東部から西ローマ帝国内に移住し多くの国を建国した。ヨーロッパ各国の大半がこのゲルマン国家をルーツとしている。
❷十字軍(11末~13末世紀)=西ヨーロッパのキリスト教徒がローマ教皇の指示で聖地エルサレム奪還のため行った遠征。第一回目だけは成功したが、その後はイスラム勢力に奪い返され失敗に終わる。
❸ルネサンス(14~16世紀)=ギリシャ・ローマの古典文化を復興させようという文化運動。イタリアで始まり、西欧各国に広がった。人々が神中心から人間中心(ヒューマニズム)の世界観に転換し、芸術や科学が大きく発展した。
❹大航海時代(15~17世紀)=ヨーロッパ各国(主にポルトガルとスペイン)が資源と貿易ルートを求めて世界規模の航海を行った。その結果アジアやアメリカ大陸での植民地化や商圏拡大が進んだ。
❺宗教改革(16~17世紀)=ヨーロッパで起こったキリスト教の改革運動。ローマ教会による免罪符発行など聖書から逸脱した行為を、ドイツ人神学者ルターが批判したことで広がった。ヨーロッパ中の国王や諸侯がローマ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)に分かれ、宗教戦争にまで発展する。
❻第一次産業革命(18中~19初世紀)=イギリスで始まりヨーロッパ中に広がった技術革新。石炭を用いた軽工業(主に繊維産業)の機械化・自動化や、蒸気機関の開発による鉄道・蒸気船などの交通革命が行われた。
❻第二次産業革命(19後~20初世紀)=アメリカ・ドイツを中心に石油や電気をエネルギー源とした重化学工業(鉄鋼・機械・造船など)が発展した。これらの産業には莫大な資金が必要とされ、資本主義さらには資源を求めて帝国主義が拡大していった。
❼第一次世界大戦(1914~1918)=オーストリア皇太子の暗殺をきっかけに、同盟国(ドイツ・オーストリア・ハンガリー)と連合国(イギリス・フランス・ロシア)が世界各国を巻き込んで行われた世界規模の戦争。連合国側が勝利し、ドイツなどが厳しい制裁を科された。+
❼第二次世界大戦(1939~1945)=第一次世界大戦の敗戦や世界恐慌で不況に苦しむドイツがポーランドに侵攻。続いて日本もアメリカを真珠湾攻撃したことで、世界大戦が勃発した。戦場はヨーロッパ・太平洋からアジア・アフリカまで広がり、世界中が巻き込まれる事となった。連合国(米・英・露・中など)と同盟国(日・独・伊)が争い、連合国側が勝利した。

 ここで気がつくのは、7項目が全てヨーロッパ中心の出来事だという点です。つまり東洋史や中東史は単独に学ぶことが出来るが、ヨーロッパ史は全体像から入らないと全貌が理解出来ない複雑な構造だということです。(決して東洋や中東を軽視しているわけではありません)

ステップ2,ムーブメント同士の関係を知ろう

7つのムーブメントのうち時代のはなれているゲルマン民族の大移動を除く6つは、相互に深いつながりがあります。まずこの関係を押さえるのが重要です。表ーAを見てください。

◈❷十字軍の遠征はその失敗により、ローマ教会の権威を大きく失墜させてしまいます。これを契機に神中心の世界観を脱し、ヒューマニズム(人間らしさを大切にする)という考え方を基本とした❸ルネサンス運動が始まります。
◈さらにローマ教会の権威低下や聖書解釈の欺瞞は神学者ルターらの批判を招き、❺宗教改革へと発展します。
◈スペイン・ポルトガルを中心に行われた❹大航海時代ではマゼランが世界一周を達成し、それまで教会が唱えていた天動説の誤りが証明されました。これも宗教改革が起こる背景となっています。一方宗教改革で劣勢になったローマ教会もイエズス会を設立して海外布教を開始、ザビエルらが大航海時代に加わっていきます。
◈ルネサンスでは文化・芸術だけでなく、科学技術も大きく発展しました。これらの新技術が製造業の機械化に貢献し❻第一次産業革命(軽工業)、第二次産業革命(重化学工業)を引き起こします。またヒューマニズム思想が人権意識の高まりにつながり、後の市民革命(アメリカ独立・フランス革命など)を引き起こすこととなります。
◈産業革命によって造り出された膨大な商品は資本主義を生み出し、資本主義は売り先を植民地に求める帝国主義へと変貌します。列強(帝国主義の大国)は植民地を激しく奪い合い、❼第一次世界大戦・第二次世界大戦では世界が二つのグループに分かれ戦いました。

以上がムーブメントから見た、世界史の骨格とも言える部分です。

ステップ3,ムーブメントと出来事の関係を知ろう

ムーブメントの周辺には重要な出来事が数多く存在します。次のステップとしてムーブメントと主要な出来事の関係をつかんでおきましょう。表ーAの内容に周辺の出来事を加えた表ーBを見てください。

十字軍はエルサレム奪還に苦しむ中、同じキリスト教国であるビザンツ帝国(旧東ローマ帝国)のコンスタンティノープルを占領します。これで弱体化したビザンツ帝国はイスラム系のオスマン帝国に攻撃され①ビザンツ帝国滅亡を迎えます
◈ビザンツ帝国滅亡によりアジアへの陸路をオスマン帝国に塞がれたヨーロッパ各国は、新たに大西洋からアジアに向かう海上航路を求め、大航海時代が始まります
大航海時代にはマゼランの世界一周やコロンブスの②アメリカ大陸発見などがあり、世界の一体化に大きな成果を挙げます。その一方スペインによる中南米征服の中で③アステカ王国・インカ帝国を滅亡させるような悲劇も起きています。
十字軍の失敗により、絶大な権力を誇ったローマ教皇の力も陰りを見せていきます。1303年にはイタリアのアナーニという町で、意見が対立するフランス国王がローマ教皇を監禁する④アナーニ事件が起こります。教皇と国王の地位が逆転した象徴的出来事と言えるでしょう。
十字軍の失敗はローマ教会に、資金不足という難問を押しつけます。サンピエトロ大聖堂の改修費用に苦慮したローマ教会は、⑤免罪符の発行で資金を捻出しようと企てます。このような聖書に書かれていない欺瞞的行為に神学者ルターらが反発し宗教改革が始まります。当初は教義論争だった宗教改革は、ヨーロッパ中の国王や領主がローマ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)に分かれて戦う⑥宗教戦争(三十年戦争など)に発展します。
①ビザンツ帝国が滅亡したことで現地のギリシャ人がイタリアへ大量に避難し、ギリシャやローマの古典文化を復興させようとするルネサンスが花開きます。ルネサンスの世界観ヒューマニズムは人々に人権意識を目覚めさせます。これにより国王の支配に不満を持った市民が⑦アメリカ独立革命⑧フランス革命を起こし、市民革命の時代を迎えることになります。
◈市民革命後もその国の政治はしばらく安定せず、アメリカは⑨南北戦争、フランスは⑩ナポレオン時代を経ることで本格的共和制へと進化していきます。
ルネサンスのもう一つの成果は科学技術の発達です。イギリスでは石炭を用いた軽工業(主に繊維産業)の機械化・自動化や蒸気機関の開発による鉄道・蒸気船の普及などの第一次産業革命が進行します。続いてアメリカやドイツでは石油や電気をエネルギー源に重化学工業(鉄鋼・機械・造船など)分野で第二次産業革命が本格化します。
産業革命がきっかけで生まれた資本主義は、商品の原材料や販路を求め植民地獲得を目指す帝国主義へと変化していきます。イギリスが清(中国)を商圏にしようと企んだ⑪アヘン戦争、ロシアの南下政策を阻止しようと英仏がオスマン帝国を支援した⑫クリミア戦争など、世界各地で列強の紛争が頻発します。
◈やがて列強はグループ化していきます。ドイツ・オーストリア・イタリアが組んだ⑬三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアが組んだ⑬三国協商はオーストリア皇太子暗殺をきっかけに第一次世界大戦へと発展します。この戦争後に結ばれた⑭ベルサイユ条約では、敗戦国ドイツに莫大な賠償金などの厳しい制裁を科してしまいます。これに対するドイツ国内の不満がナチス政権を誕生させ、第二次世界大戦を引き起こす原因となります。
第一次世界大戦後アメリカは好景気に沸き、過剰生産・過剰投資が行われました。しかしヨーロッパの復興で輸出が減りバブルがはじけてしまいます。これによりアメリカ発の⑮世界恐慌が起きると、植民地を持つ大国は排他的なブロック経済で防衛に出ます。一方資源に乏しいドイツや日本は強引に国外へ資源を求めたため、第二次世界大戦が引き起こされることになりました。

以上、超駆け足ではありますが中世以降の世界史の流れをザックリ理解していただけたでしょうか。

ステップ4,ヨーロッパ社会の成り立ちを知ろう

世界史における主要舞台であるヨーロッパ、その成り立ちを知るにはムーブメントゲルマン民族の大移動まで遡る必要があります。日本のような島国と異なりヨーロッパは色々な民族が時代と共に多くの国家を作り、相互に影響し合ってきました。そうした複雑なヨーロッパという社会を知るには三つの側面から見る必要があります。
(1)国家の変遷=ヨーロッパには50の国がありますが、歴史的に見ると何度も国名が変わり、その領域も変動しています。現在の国家がどのようにして誕生したのか、そのルーツを整理します。
(2)キリスト教=ヨーロッパを理解する上でキリスト教の存在はとても重要です。社会の中でどう役割が変わっていったのか確認しておきましょう。
(3)社会体制=時代と共に社会体制も変わっていきます。同時に時の権力者がどう変化していったか、これを知ることがその時代を理解するのに役立ちます。

以上三つの側面を並列的に見られるようにしたのが表ーCです。




(1)国家の変遷

 ◈紀元前27年に帝政となったローマ帝国は勢力を拡げ、2世紀には地中海沿岸
  の大半を獲得します。4世紀後半になると中央アジアのフン族がゲルマン人
  の住むヨーロッパ北東部に侵入、ゲルマン諸民族はローマ帝国内に移動を始
  めます。広大になってしまった領土の防衛に苦しむローマ帝国は395年、東
  西二つに領土を分割することでこれに対応しようとします。分裂後も西ロー
  マ帝国領内にはゲルマン民族の流入が続き、476年統治能力を失った西ロー
  マ帝国は滅亡してしまいます。

 ◈西ローマ帝国領に入ったゲルマン諸族は、各地に国家を建設していきます。
  アングロサクソン族はブリテン島(イギリス)に渡りアングロサクソン7王
  国を建設、現在のイギリスの基となります。

 ◈現在のフランス地方に入ったフランク族は次々と領土を拡大、9世紀に西フ
  ランク・東フランク・中部フランクの三カ国に分割を行います。西フランク
  は後のフランス、東フランクは神聖ローマ帝国と名を変えた後に現在のドイ
  ツ、中部フランクは後のイタリアへと変貌していきます。

 ◈イベリア半島に入った西ゴート族は西ゴート王国を建設しますが、短期間で
  イスラム系王国に滅ばされてしまいます。15世紀にようやくイスラムを駆逐
  した後はスペイン・ポルトガルが建国され現在にいたります。

 ◈ローマ帝国から分裂したもう一方の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は現在の
  バルカン半島・トルコ・エジプトあたりを治め、15世紀にオスマン帝国に
  滅ぼされるまで1,100年の間繁栄しました。 

(2)キリスト教
 ◈キリスト教は唯一の神を信じる一神教であり、皇帝を絶対的存在とするロー
  マ帝国は当初からこれを禁止・弾圧してきました。しかしその信者があまり
  に増えてきたため、313年のミラノ勅令でその信仰を許可することになりま
  す。その後ローマ教皇もキリスト教に改宗するようになり、380年に正式に
  国教として認められます。

 ◈西ローマ帝国滅亡後のゲルマン国家においても、すでにキリスト教徒だった
  国民を治めるためキリスト教が必要とされます。中でもフランク王国は国民
  と同じ正統派(アタナシウス派)だったため、大きく勢力を伸ばします。一
  方異端(アリウス派)を信仰するゲルマン国家はフランク王国やイスラム国
  家などに滅ぼされ短命に終わります。

 ◈西ゴート王国は7世紀にイスラム系王国に滅ぼされ、ヨーロッパでイベリア
  半島だけキリスト教の支配外となってしまいます。8世紀から始まったイベ
   リア半島の国土回復運動のことをレコンキスタと呼び、15世紀末にようや
  く達成されました。レコンキスタ後にはポルトガルとスペインが誕生、大
  航海時代を主導して一気に国力を拡大します。

 ◈6世紀に誕生したゲルマン諸国家は拡大とともに、国王の正当性を求めロー
  マ教皇からの戴冠を望むようになります。こうして教皇の権限は9世紀ごろ
  から次第に拡大していきます。これを象徴するのが1077年に起きた「カノ
  ッサの屈辱」です。ローマ教皇に破門された神聖ローマ帝国の皇帝が、雪
  の降るカノッサ城の門前で三日間立ち尽くし許される事件が起きました。
  教皇の権限が皇帝を上回ったことになります。

 ◈絶対的な教皇権を背景に、11世紀末から十字軍の遠征が始まります。第一
  回目こそ聖地エルサレム奪還の目的を果たしたものの、以降は失敗を重ね
  てローマ教会への信頼は揺らぎ、従軍した各国王の不満も高まります。13
  03年教皇と意見が対立したフランス国王がイタリアのアナーニという町で
  教皇を監禁する事件が起き、教皇の権威は低下していきます。

 ◈16世紀ドイツの神学者ルターのローマ教会批判により始まった宗教改革は、
  フランス人のカルヴァンなども加わりヨーロッパ全体に波及します。ロー
  マ教会派(カトリック)と改革派(プロテスタント)の対立は各地の諸侯・
  国王をも二分する争いとなり、宗教戦争が繰り広げられることとなりまし
  た。現在でもヨーロッパ北部はプロテスタント、南部はカトリックが中心
  となっています。

(3)社会体制
 ◈ローマ帝国は征服した属州を中央から派遣した総督が管理することで、広大
  な領土を支配していました。ローマ皇帝が遠隔支配する中央集権体制と言え
  ます。

 ◈ローマ帝国が滅びゲルマン国家が乱立するようになると、国王が絶対権力を
  握ることは無く、封建制度が始まります。封建制度とは国王が諸侯に土地を
  与え、諸侯は国王に軍役の義務を負うという一種の契約関係です。この関係
  は諸侯とその下の騎士の間にも存在しました。

 ◈国家の拡大とともに「キリスト教」の項で触れた通り、教皇の権限が強くな
  っていきます。しかし十字軍の失敗などでローマ教会の支配が弱まると国王
  を中心とした主権国家が登場します。主権国家とは自国のことは自国で決め
  られる国家のことであり、諸侯も完全に国王の配下となっていきます。権力
  の増した国王はその根拠として王権神授説(国王の権力は神から与えられた
  もので不可侵)を唱え、官僚や常備軍を備えた国作りが行われました。この
  ような体制を絶対王政と呼んでいます。

 ◈絶対王政下では富が国王や貴族に集中することになり、国民の不満は高まり
  ます。折からルネサンスで人権意識に目覚めていた市民は、市民革命という
  手段で体制転覆を図りました。革命の後には君主を持たず市民が実権を握る
  共和制が登場します。
  

以上がヨーロッパを複合的に概観した全体像です。これを見てもヨーロッパの歴史を国別(フランス史とかドイツ史など)では理解出来ないことが分かると思います。

総論はこれ位にして各論に入っていきましょう。まずは7つのムーブメントについて、その内容をもう少し深く掘り下げましょう。その際注意すべきは内容の詳細だけで無く、そのムーブメントがなぜ起きたか(原因・背景)と、そのムーブメントが何を引き起こしたか(影響)も併せて理解しておくことです。

ステップ5,ムーブメントの詳細を知ろう

❶ゲルマン民族の大移動

◈大移動の原因
 ①地球の寒冷化=3世紀頃より地球の寒冷化が進行した。北方に暮らし農業や
  遊牧で生活していた諸民族は、寒冷化による収穫量の減少で食糧不足に悩ま
  されていた。
 ②フン族の侵入=中央アジアの遊牧民フン族も温暖な遊牧地を求め、4世紀後
  半にヨーロッパ北東部に侵入してきた。この地には多くのゲルマン部族が暮
  らしていたがフン族の騎馬戦力に対抗できず、より温暖なヨーロッパ南西部
 (西ローマ帝国領)へと移住せざるをえなかった。
 ③西ローマ帝国の弱体化=権勢を誇った巨大ローマ帝国も東西に分裂(395)
  とりわけ西ローマ帝国の弱体化が進んだため、侵入してきたゲルマン部族を
  追い返すことが出来なかった。

◈大移動の経緯
 395 ローマ帝国が東西に分裂
 418 西ゴート人はイベリア半島(スペイン)に入り、西ゴート王国を建国。
 429 ポーランド南部にいたヴァンダル人はイベリア半島に移住したが、西ゴ
    ート人に追われ北アフリカに渡りヴァンダル王国を建国。
 443 ルーマニア地方にいたブルグンド人はフランス南部のブルブルグンド王
    国ブルグンド王国を建国
 449 デンマーク地方にいたアングロ・サクソン人は海を渡り、ブリテン島
   (イギリス)で先住のケルト人を制圧、地区ごとに7つの王国を作った。
 476 ローマ帝国の傭兵隊長オドアケル(ゲルマン人)が西ローマ帝国の皇帝
    を追放し、西ローマ帝国は滅亡する。
 481 ドイツ地方にいたフランク人は隣接したフランス地方に入り、フラン
    ク王国を建国した。
 493 ウクライナ地方にいた東ゴート人はイタリア地方に東ゴート王国を建国

◈大移動の影響
 ①東ゲルマン国家は短命=東ゲルマン国家(東西ゴート・ヴァンダル・ブルグ
  ンド)はキリスト教のアウリス派(キリストは人間)を信仰していた。この
  宗派はローマ帝国から見て異端だったためローマ人の支持が得られず、いず
  れの国家も短命に終わった。
 ②西ゲルマン国家は主要国に=フランク王国はキリスト教正統派のアタナシウ
  ス派(キリストは神)に改宗、西ローマ帝国と入れ替わるように拡大した。
  後に3分割され、それぞれがドイツ・フランス・イタリアの起源となる国家
  に成長した。
  アングロ・サクソン人はブリテン島(イギリス)に渡り先住のケルト人を制
  圧、7つの王国を作った。その後遅れ来たノルマン人(ゲルマン系)とも交
  わり、イギリスという国家に成長していく。
 ③中世への転換=ローマという大帝国が衰退し各民族が独自に国家を形成する
  中世という時代への転換が始まった。
 

ステップ6,関心のある出来事の詳細を知ろう

コメント

タイトルとURLをコピーしました